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劇場・こだまと鈴公演
  こだまでせうか ―童謡詩人 金子みすゞ その愛と死―
みすゞの写真
写真提供/JULA出版局

  金子みすゞが生きた時代は明治、大正、昭和という激動期でした。
  誰もが、云いたいことのいえない、やりたいことのやれない時代。
  才能溢れる若き花形投稿詩人、インスピレーション溢れる鮮やかな詩の世界、 裏腹にわずか二十六歳で自ら命を絶つという悲劇的な人生…。
  みすゞは制作期間5年間で524編もの詩を遺しましたが、 没後その作品も長く埋もれたままでした。それが多くの人々の尽力があったとはいえ、 この一見豊かで、何不自由のないかのように見える現代に奇跡的に 蘇ったのです。

  いまや誰しもに親しまれ、愛されるみすゞの詩…。 ひとつひとつの言葉が持つ優しい響きに心癒された人も少なくないでしょう。 これも希薄な人間関係や暗澹とした世相の中で生きる現代人の ”心”が求めているのでしょうか。
  脚本家・東 隆明は、更にみすゞの詩の奥深く秘められたメッセージを 研ぎ澄まされた感性で捉え、見事に「こだまでせうか」に浮かびあがらせました。
百年の時を越えて、みすゞは本当の意味で蘇り、長く、人々の心の中で生き続け ると信じています。
  舞台化するにあたって、七人の作曲家によって素晴らしい曲がつけられ、 詩の朗読、物語の語り、歌、演奏が織り成す幻想的な構成で観る人を惹きつけていきます。 老若男女を問わず、誰にでも鑑賞していただける作品に仕上がっています。

それでは台本をほんの一部ですがご紹介していきましょう。


◆劇場・こだまと鈴公演に関するお問合わせは◆ azuma@vanilla.ocn.ne.jp

こだまでせうか

ブルーレイ・DVD
主催・有家町教育委員会/劇場・こだまと鈴公演/定価5000円
注文フォームからどうぞ

こだまでせうかCD

2枚組CD
発売元(株)日本クラウン
脚本・演出 東 隆明
お蔭様をもちまして完売いたしました


                                                        
こだまでせうか  ―童謡詩人・金子みすゞ その愛と死―
 「第一部 ふるさとの青春」

語り

一九〇三年(明治三十六年)、金子みすゞは、この年の四十一日、金子庄之助、ミチ夫婦の長女として、山口県大津郡仙崎村に産声を発す。
そのみすゞ誕生の九年前、朝鮮半島をめぐって清国と日本が激突。結果、日本が圧勝し列強の大国と対等していく足がかりとなった。
そして、みすゞ誕生の翌年、一九〇四年(明治三十七年)南下の勢いを増すロシア帝国に日本は真向から宣戦布告し、 日露戦争は辛うじて日本に軍配が上がる。農耕中心だった日本がこの頃から軍国の道を歩み始めるのである。侵略を 重ね、内にも外にも多くの犠牲を作りながら…… 


映 詩
朗読1・大漁

大 漁

朝燒小燒(あさやけこやけ)
大漁だ
(いわし)
大漁だ。

(はま)は祭りの
やうだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらひ
するだらう。

語り

濱は祭りのやうだけど/海のなかでは何萬の/鰮のとむらひ/するだらう。………喜ぶものがいれば、その反面悲し むものがいる。幸福の陰に不幸がある。この視点に立ったみすゞの詩は沢山ある。

 

映 詩
朗読2・お魚

お  魚

海の魚はかはいさう。

お米は人につくられる、
牛は牧場(まきば)で飼はれてる、
鯉もお池で()(もら)ふ。
けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし
いたづら一つしないのに
かうして私に食べられる。

ほんとに魚はかはいさう。

映 詩
歌1・鯨法會

鯨法會(くじらほうえ)

鯨法會は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。

(はま)のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、

村の漁夫が註D着て、
濱のお寺へいそぐとき、

沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こひし、こひしと泣いてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。


語り

                                                
日本は古来より言論や思想はいつも弾圧されてきた。
みすゞが生きたこの時代も四民平等とはいえ、例外ではなかった。国や政府に楯つく者は容赦なく弾劾された。
又、綿々と続く男尊女卑の風潮は政党政治となったこの時代にもまるで、国の法律のように守られているのである。 婦人には選挙権もなく家畜同然の扱いを受け、全くの男社会そのものであった。
そんな中――金子みすゞの裡に秘めた宗教観や世界観が、当時高まりつつある童謡運動の中で投稿という形で発表さ れていく。その静かで激しい思いが、詩の形式を借りて噴き出していったのである。

映 詩
朗読3・日の光

日 の 光

おてんと様のお使ひが
(そろ)つて空をたちました。
みちで出逢つたみなみ風、
(何しに、どこへ。)とききました。

一人は答へていひました。
(この「明るさ」を地に()くの、
みんながお仕事できるやう。)

一人はさもさも嬉しさう。
(私はお花を咲かせるの、
世界をたのしくするために。)

一人はやさしく、おとなしく、
(私は清いたましひの、
のぼる反り橋かけるのよ。)

残つた一人はさみしさう。
(私は「影」をつくるため、
やつぱり一しよにまゐります。)


語り

 
一九一四年(大正三年)から四年以上に渡って続いた第一次世界大戦。列強国がヨーロッパで壮絶なる戦いを繰り広 げる中、日本は横あいから参戦し、ドイツの植民地である中国の青島と、南洋諸島を攻略し、ちゃっかりと占領して しまった。そして、経済面においても軍需による巨利を得て空前の大戦景気に湧いた。然し、一般庶民は過剰なる輸 出の為、国内の品不足による物価上昇で、生計はますます苦しくなっていった。そんな中、一九一八年(大正七 年)、『赤い鳥』の創刊号で、鈴木三重吉はこう言っている。
(……現在の子供が歌っている唱歌なぞも、芸術家の目から見ると、実に低級で愚かなものばかりです……世間の小 さな人たちの為に、芸術として真価のある純麗な童話と童謡を創作する、最初の運動を起こしたいと思いまして月刊 雑誌『赤い鳥』を主宰発行することに致しました……)

映 人物

この鈴木三重吉の呼びかけに答えたのは、泉 鏡花、徳田秋声、高浜虚子、有島武郎、有島生馬、芥川龍之介、小川 未明、島崎藤村、谷崎潤一郎、久保田万太郎、佐藤春夫、それに北原白秋と西条八十。 日本の童謡・童話運動の華やかな幕開けだ。


映 雑誌

               
『赤い鳥』に刺激されて、翌大正八年に『金の船』、九年には『童話』創刊。
こうして、大正から昭和にかけて児童文学の創生期と興隆期を担う、三大童話童謡雑誌が肩を並べたのである。
そして、何よりもこの時代の創作童謡ブームに火を付けたのは、『赤い鳥』の北原白秋、『金の船』の野口雨情、『童 話』の西条八十によって毎月選ばれ、雑誌に掲載される読者からの投稿詩と、彼ら投稿詩人たちの初々しい活躍であった。
なかでも金子みすゞは、初投稿以来西条八十に一貫してその才能を評価され、二十才からの五年間に五百十二編の作 品を残し、遂には「童謡詩人会」に推挙され、入会を認められるに至った。
正に、全国の投稿詩ファンの憧れの的、希望の星だったのである。

映 詩
歌2・金平糖

金米糖(こんぺいとう)の夢

金米糖は
夢みてた。

春の田舎の
お菓子屋の
硝子(がらす)のびんで
夢みてた。

硝子の舟で
海越えて
海のあなたの
大ぞらの
お星になつた
夢みてた。